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善と悪 [その他]

深夜だし善悪について話そう

善悪とは人間の作った概念であり、
この世にそもそも善悪というものは存在しえない

そやろか
善は難しいから悪から考えよう
町中でゴミをポイ捨てしている中高生がいるとして
それは悪かどうか

社会としては悪なのであって、
その行為そのものが悪とは言えないんじゃない?

確かに人間が社会性を持たない猿だった頃ならそうだけど
じゃあ社会的な規範や道徳心を持つはずの人間がそれをやっていた場合、
それは悪かどうか?って話なんや

逮捕されたり嫌われるからしかたなくそれに従うしかない

そうなると
ゴミのポイ捨てに対して嫌悪感を抱く人は
何を思ってそれを嫌悪するのかが説明できなくなるで
みんながみんな、法に縛られてるから悪い行為をしないのではなく
本当に善し悪しを自分の基準で考える人もいるんや
逆にその「自分の基準」がガバガバで、
ポイ捨てなんて何にも悪い事だと思わない人もいるんやで
この場合の善し悪しはどう判断すればいいんや?

何で嫌悪感を抱くのか→
そのルールがその人の行動規範となっているから。
良し悪しの判断基準がそのルールだから、
そこから外れる行為を悪とみなす

人間以外が作った概念てあるのか?

善も悪も人の感性で変わる、
どんなに善行だと思っても周りが悪行と認識したら悪になる

そんなにガバガバな社会だったら
貧しい国の大統領の名言やら、
マザーテレサとかは評価されなかったはずやで
みんなも何かしら、
これは許せない、これは許せるって物があると思うんや

そのこれは許せる許せないだって、絶対そうだとは言えないでしょう
食人族だって彼等の社会的なルールで食人してるのに、
私たちが食人許せない!と言ったって共感しないだろうし

それは確かにその通り
文化の違いで社会性なんて物はいくらでも変動するしね
だけどここは食人族なんていない日本だし
わいらのルールって物が人それぞれになって多様化しすぎたせいで
善悪の基準が曖昧になってる気がするんや

日本に絞って考えるなら
日本の法(法律・道徳等の不文律こみ)で善悪決めていいと思う。
それを守らない=社会悪でしょう

わいもそう考えて結論付けようとしたで
じゃあいじめはどうや?
あれは法律に触れなくても人を傷つける立派な悪の行為や
もちろん大人なら、
「名誉毀損だー」やら「パワハラだ」と抗議できるが
子供だとそうはいかん
戦えない、戦い方を知らない
そんな子供はどうしたらええんや?
明らかな悪に対して、法を逃れる悪に対して、
「法で縛られていないからセーフ」というのはどうなんや?
と思うんや

もし虐めが虐めではなくてその子も容認しての物だとする、
でも周りの大人や親、友達は虐めと思い
それを止め訴えたりしたとする、
その結果その子たちの関係が崩れたとき
その子たちから見て周りの親大人がやったことは
果たして善行と言えるか

それは単純に現状を把握していない親が悪いと思うで
善い行いは善い行いだとしても、
おせっかいに転じたらそれは相手の事を理解、
想像していない行為に値すると思うんや
つまり厳密に言えば誰かの為の行為であるために、
それが善行であったとしても、
「何か行動を起す前に考えを巡らせていない」
悪い行為にも当たるとわいは思うんや
ただ誰もそれを責めたりはできない
デリケートなゾーンでもあるから、
実際にそういった現場に遭遇して、
わいが悪だと思っていてもわいはなんにも言わんで

だからそれが感性によるってこと
例えば車ではねられた人がいるとしよう、
骨は飛び出て内臓も破裂してる、後遺症は絶対残るし
これから地獄の様な日々を過ごすだろうと分かるとする
この人を助けるか?助けないか?

それも難しい問題やね
トロッコ問題とかいうのを思い出したわ
確かにそういう
「助けるか助けないかの結果」がどちらも辛い場合は、
わいらも善悪の基準に疑問を抱くはずや
もちろんわいもそれはわからん
だからこそ簡単な問題に着眼点を当ててみたいと考えたんや
ゴミのポイ捨てなんていう、わかりやすい善悪の基準から

善悪なんてないんやで自分が正しいと思ったらそれが善
そんでもって自分が悪いと思ったらそれが悪
周りから見られてどう思われるかは別として

その通り。
で、その「自分」の範囲を広げていったのが国だとかになる

俺が善

そんな事を本気で考えている奴が
誰かを無意識で傷つけているんやで

自分語りになってしまうが聞いてくれや
わいの友達にDQNみたいな奴がいるんやけど
普段からワイがそれはアカンやろと思うことでも
平気でやる奴なんや
高校時代にいじめをしていた経験を高らかに話し、
街中で飯を食えば見かけた池沼やデブハゲを笑い話にする
ゴミのポイ捨てなんて日常茶飯事や
女のやり捨てもよくある奴や
地元の友達連中もドクズで、
子供の学芸会を襲撃するようなモンキーやって聞いた時は戦慄したで
彼らの地元の友達もみんなそんな感じやから、
あいつらのコミニュティの中では
俺にとっての悪が完璧に善として許されとるんや
そんで大学の友達もみんなその破天荒で
倫理的に考えたら極めて悪なエピソードで大爆笑しとるんや
もうわいはわからんで
ここにいる人が言った
「各々が幸せだと感じる事がその人にとっての善」だというなら
あんな奴がいる事にわいは恐怖を感じるんや
お前らならどう答えるんや?

どう答えるってのが、
何についてどう答える?なのかわからないけど、
自分が不快な事する集団に必要もなく参加している意味がわからない。
デメリット込み込みでも
更生させる(自分が良しと思う環境作りする)気持ちがないなら
友達辞めたら?

どう答えるか?っていうのはどう思うかって事やで
あいつらみたいな奴が
「普通の大学生」として存在しているのが恐ろしいと思わんか?
周りも爆笑するのが本当に気持ち悪いんや
抜けられないのはわいが離れてもついてくるからやで
ずっと口きいてなかったら電話かかってきて
めんどくさいよって言ったら、
家の前にきてドライブに連れてかれた時はビビったわ
そんなんやったら絶交突き付けてやれよって思うやろが、
大学でやりづらくなるのは容易に想像できるから
そんな上手く行かんのやで

恐ろしいというか、どの時代にだって無法者は居るしなぁ
拒絶出来ない、抜けたくないなら、
そいつらを変えるか、自身を変えるか、我慢して合わせるかだな

無法者だらけなのがすごいとこなんや
実際にやるのはそのDQN連中だとしても、
それで笑う奴が大多数なんや
みんな小学生の頃にいた、
いじめられている子を笑う子供となんにも変わってない
もしかしたらみんな合わせてるのかもなー…なんて考えるんやけど、
DQNがいない時でも平気でそういった不謹慎な話をするし、
こいつらの善悪の基準はどうなってるんや?と思うんやで
ちなに学力は日東駒専以上だと答えておく

いや、気持ちはわかるが、それでどうするのさ
こいつらの善悪観はどうなってるんだー!と言ったって、
そうなってるとしか言えないわ

確かにそうなんや
ただの愚痴になってしまったなすまん
まあでも、共感してくれる感性や
善悪観を持っている人が見つけられたからわいは満足やで
わいだけやなんやなって思いたくなかったんや

DQNがDQNと言われるのは、
そうじゃない人が社会に多くいるからだしな
共感する人間の方がまだまだ多いと思うよ

何かを善だと決めてしまうと
そのほかが悪になってしまうのだよ

ーーー

●赤ちゃんにも善悪がわかる!?

赤ちゃんの道徳観を研究している立場上、
「人間は生まれながらに善人だったり悪人だったりするのか」
と質問されることがある。私の答えは「イエス」だ。

たいていの大人は善悪の観念を持っている。
サイコパスでもないかぎり、残虐な行為には恐怖を覚え、
親切な行動を目のあたりにすると勇気づけられるものだ。
窮地にある人に救いの手を差し伸べ、
犯罪者に罰を与えたいと思うのは、ごく普遍的な道徳的衝動だ。

赤ちゃんについても同じことが言える。
人間の道徳観などについて考察した自著のなかで、
こういう道徳的衝動が
人間の生物としての進化の産物なのではないかと論じた。

人間の脳には生まれつき道徳観念が組み込まれており、
赤ちゃんや幼児でさえ、他人の行動の善悪を判断できる。
そして、善行に報い、悪行を罰したいと自然に欲するものなのである。
突飛な主張だと思われるかもしれないが、
多くの研究室で立証されている。

米エール大学の私の研究室では、
人形を使った道徳劇を赤ちゃん相手に見せ、その反応を観察した。
他人が坂を上るのを手助けするような善人役の人形と、
逆に坂から突き落とすような悪人役の人形とを対照させて上演。
赤ちゃんの表情や行動を見て取ることで、
どのような道徳判断を下しているのか分析した。

結果として判明したのは、
生後3カ月の赤ちゃんですら、善人役の人形を好むということだ。

もう少し年長の赤ちゃんや、よちよち歩きを始めた幼児になると、
善人役に報酬を与え、悪人役には罰を与えるようになる。
さらに、自分と同じ道徳観念を持った人形に愛着を示すこともわかった。
つまり、善行に報いる正義の味方の人形の方が好かれるのである。

このように普遍的な道徳感覚が存在することが立証されたのは、
良いニュースだ。

ただ、赤ちゃんの段階の脳というのは、自然淘汰の産物であり、
その先天的な道徳観には当然ながら限界がある。
実際、数々の研究で判明しているように、
赤ちゃんの道徳的判断というのは、最初、融通が利かない。
世界を硬直的に「自分たち」と「彼ら」に二分してしまって、
自分たちのグループにかたくなに肩入れするのである。

さらに、他者に対する親切心や共感となると、
また別の話になってくる。

ただ、幸運なことに、
私たちはこのような生物学的限界を乗り越えることができる。
現代の人間であれば、平等や万人の自由といった
抽象的な道徳概念を持っており、あえて敵を愛することもできる。

後天的に道徳思想に触れることによって、
完璧とは言わないまでも、人は成長して善人に近づくことができる。
実際、社会はこうした
抽象的な道徳観念に基づいて形成されているのである。

最後に、私たちの研究の意義について述べよう。
一つには、親の側で
赤ちゃんや子どもに対する見方が変ってくるはずだ。
生まれたばかりの赤ちゃんは道徳性のかけらもない、
ちっちゃなサイコパスだと思われている節がある。
ある種の赤ちゃんが
遺伝的に救いようのない悪玉だと考える人もいる。

こうした冷笑的な見方は誤りだ。
私たちは生まれながらにして道徳的なのであり、環境次第で、
その先天的な道徳感覚が高まることも堕落することもありうる。

さらに、人間の先天的な道徳心理を理解することで、
より良い社会の創造につながるだろう。
優れた社会政策を立案するにあたっては、良きにつけ悪しきにつけ、
人間の先天的な善悪の資質を知ることが欠かせない。
これこそ「赤ちゃんの道徳学」が目指すところだ。

http://www.cnn.co.jp/fringe/35045208-3.html

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