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困った親族に対する心構え [知識]

●もしあなたにとって有害な家族がいたら・・・
 思い出して欲しい10のアドバイス

家庭とは、心安げる場所であることが理想だが、
ときは頭痛の種となることもある。
困った友人や恋人なら二度と会わないという手段も取れるが、
家族ともなるとそう簡単にはいかない。
意地悪で、トラブルメーカーで、あなたの生活を
滅茶苦茶にしてしまう家族がいたらどうすればいいのだろうか?

何よりもまず
「すべての家庭が健全な心の拠り所になっているわけではない」。
という事実を受け入れることだ。
家族との結びつきは、必ずしも
お互いへの敬意や愛情のうえに成り立っているわけではない。
”家族”が単なる血縁以上のものではないことだってよくあることだ。

次に、問題のある家族が
なぜそのような状況に陥っているのかを理解することだ。
悩み事を抱えているのかもしれない。
愛情に飢えているといった可能性もある。
心の病気で苦しんでいるのかもしれない。
こうした人たちは支援を必要としているだろう。
 
家族の問題はどれひとつとして同じものがない。
だが、覚えておくべき普遍的な原則も存在する。
問題のある家族の心理を理解し、その対処法を知っておくことは、
あなた自身を守るために必要なことである。
このアドバイスは家族のみならず、
身近にいる人にも適応できるかもしれない。

1. 適切な距離感を保つ

迷惑な家族が、必ずしも意図的に不快で、
冷たい態度をとっているわけではないこともある。
悪気はないのだろうが、ライフスタイルの違い、
考え方の違いからあなたが振り回されることになる。

難しいことだが、私たちは生きるために
人と十分な距離を保っておく必要がある。
人間関係であなたの日常を台無しにしてはいけない。
まずは自分の幸せを第一に考えるべきだ。
適切な距離感とは、誰かと過ごす時間を減らすことなのか、
少し距離を置いて家族を愛することなのか、
完全に手放すことにするのか、
あるいは一時的に辛い状況から逃避するのか…
それが意味することは様々だが、
あなたには自分のために健全な距離を作るあらゆる権利がある。

2. ”受動的攻撃性”を持つ家族の心理

”受動的攻撃性”とは狡猾で陰湿ないやがらせのことである。
一般的には否定的な行動で現れる非言語的な攻撃で、
例えば、思っていることを表に出さないで、
分かりにくいが不快なジェスチャーを向けたりするような行為だ。
何が気に入らないのかはっきりと言わずに、
あなたが参ってしまうまで軽い嫌がらせを行う。

この行動は、人と面と向かってコミュニケーションがとれない
社会性のなさを示している。
まともな人間ならこうした受動的攻撃性を持つ理由がない。
自分に自信がないのに自意識過剰で、
人に批判されるのを恐れるがあまり、
受動的攻撃性を隠れ蓑にしているのだ。

もしこうした家族がいたら、
その存在をありのまま受け入れていることを話そう。
また考え方は人それぞれであり、それを批判するつもりもなければ、
自分の考えに従う必要もないことを理解してもらえばいい。
そのうえで、あなたが家族を助けたいと思っていることを伝えるのだ。

もしその家族があなたを大切に思っているならば、
そうした行為は止めるだろうし、少なくとも妥協はしてくるはずだ。
それでも相変わらず受動的攻撃性を示すようならば、
そのときはやはり、自分と距離を作り出すしかないだろう。

3. ”いじめ”で服従させようとするのは、あなたがそうさせておくから

学校でのいじめはよく話題になるが、
最大のいじめはしばしば家族によって行われる。
だが、どんな場合でもいじめを容認してはならない。
それがいかなる理由であれ、誰かをいじめる権利など
地球上の1人として持っていないのだ。

悲しいことに、誰かの自尊心を踏みにじらないと
幸せを感じないタイプの人間もいる。
これに対してあたながすべきは、自分で立ち上がる心を持つことだ。
彼らの風下に立ってはいけない。
あなたがいじめを受け入れてしまうと、
いじめる側の人間に力を与えてしまうこととなる。

敵に立ち向かうには大きな勇気がいる。
家族や友人と立ち向かうのも同じだ。
ときに、いじめは思いがけない場所で起こる。
身近な人間のあなたへの態度を察知し、
分かりにくい嫌がらせに注意しよう。
そして、必要があれば立ち向かうのだ。
それが自分らしく生きるチャンスになる。

4. 抵抗せよ。一時的な安楽は一生の苦痛となる

意地悪な家族は気まぐれな行為で自分の思い通りにしようとする。
そうした家族の疲れるへりくつに反論するより、
したがってしまった方が楽に思えるかもしれない。
だが、こうした状況において、一時的な安楽は、
のちに地獄のような長い苦痛を味わうこととなる。

何をやっても思い通りになるのなら、
困った人たちが変わることはない。
あなたの態度が彼らの行為に大きく影響することを肝に銘じておこう。
彼らにやたらと気を使ったり、日常茶飯事の意地悪な態度を
なんだかんだと大目に見ることはやめよう。
嫌な状況を我慢する価値などありはしない。
家族の誰かが大人になっても、相変わらず気まぐれで、
無責任で、無礼なままならば、声に出して抗議するときだ。

5. 自尊心を失うな。自分自身を大切にしよう

毎日自分のことを大切にしよう。
真面目な話、意地悪な人物と生活したり、
一緒に働かざるを得ないのならば、独りで休息して、
きちんと回復する時間をたっぷり確保することだ。
気まぐれな厄介者の前で”しっかり者”を演じることは疲れるし、
自分を大切にしていないと
彼らの嫌らしさがあなたにまで感染ってしまう。

意地悪な家族のおかげで、
「もしかしたら自分の方が間違っているのか?
自分は馬鹿にされるほどダメな人間か?」
などと考え、夜も眠れないほど悩んでしまうなど馬鹿げている。
意地悪な家族にとっては、
いじめること自体が目的ということもあるのだから。

あなたに原因があるわけではない。
彼らは自分の醜い感情をコントロールできずにいるのだ。
そうした人間の言うことを
まともに聞いていたらおかしくなってしまう。
だからこそ振り回されてはならない。自分を大切にしよう。
嫌なことがあっても
健康的かつ前向きな生活が送れるように心構えをしておこう。

6. 嫌がらせが暴力を伴うのであれば、それは警察に委ねるべき問題

家庭内で暴力を受けている。
ひどく辛いのに、家族の怒りに屈してしまう。
心はとっくに離れているのに、
信義誠実を貫こうと何年も過ごしている。
暴力を振るう人間から誰かを守るために代わりに暴力を受けている。
など、 嫌がらせが暴力を伴うのであれば、
それは犯罪だ。警察に通報しよう。
彼らはその結果を受け止める必要がある。

だが暴力でマインドコントロールされている場合もある。
逃げ出せる状況にあっても逃げ出せないのは
恐怖に支配されているからだ。
これはまわりの誰かが気が付いてあげなければならない。
悲惨なことが起きる前に
強引にでも体に傷がないかなどをチェックしてみよう。

7. あなたはいっさい悪くない。個人的に受け止める必要はない

問題は彼らにあるのだ。あなたではない。
このことを肝に命じることだ。
意地悪な家族は、あなたに責任があるかのような態度をとる。
多くの人にとって、”罪悪感”は意外なまでに大きく、
自分が間違っているかのように仄めかされるだけで、
自信が損なわれ、気持ちが揺らぐ。

だが、あなたはそうさせてはダメだ。
意地悪な人間はあなただけでなく、
関わる者すべてに対して酷い言動や行動をとる。
それすらも自分に向けられたものと勘違いしてはならない。
それはあなたとは一切関係がないのだ。
彼らの発言や行為、完全に彼らの醜い内面を映し出している。

8. 罪を憎んで人を憎まず。憎しみに支配されてはならない。

マハトマ・ガンディーが言ったように、
目には目をでは世界が盲目になってしまう。
家族の行為がどれほど軽蔑に値するのだとしても、
心に憎しみを巣食わせてはいけない。
憎しみに憎しみで対抗しては、傷が深まるばかりだ。

いつの間にか誰かを憎んでしまったとき、
そこに掘られるのは相手とあなたの2つの墓穴である。
遺恨とは、何かに捕らわれた人間のものだ。
反対に許しとは、前に進む強さと賢さを備えた人間のものだ。
最高の復讐は、誰かを陥れることではない。
あなた自身が幸せな生活を送ることであり、
それが心に平和を生み出してくれる。

9. 人間は変われるものだし、
 こじれた家族関係がやがて修復されることもある

家族との信頼関係が崩れても、
互いが懸命に自分を成長させる気があるのなら、
それは修復しうることもある。
事実、誰かとの関係の根幹が粉々に壊れてしまったと感じたなら、
あなたのためにならなかったお互いの行動パターンや
ダイナミクスを脱ぎ捨てるチャンスが、まさにその瞬間訪れたのだ。
それは辛い作業であり、苦しい時間でもあるが、
その一時の感情はやがて消え去ってゆく。
あなたが壊れた信頼は元に戻らないと信じているならなおさらだ。

信頼とは一生のうちに紡いだり、
解れたりすることを繰り返すものだと分かっていれば、
お互いが粘り強く成長する力を見つけることだろう。
だが、それには双方の努力が必要だ。あなたひとりでは無理なのだ。

10. どうにもならない場合の最終手段

いずれにせよ、これはあなたの人生だ。
これ以上は耐えられない、困った家族の行為を
どうにもできないと思ったなら、最終手段が残されている。
あなたは、あなた自身の選択で、誰と手を携え明日を迎えるのか、
誰をこの日に残していくのか、その相手を決めることができるのだ。

理想の世界では、困った家族との関係は
きっと修復できるのだろうが、現実は厳しい。
物事を維持するよう精一杯やった上で、
もうこれ以上は無理と判断した場合には、
それを手放すという選択肢もあるのだ。
別離はつらい決断だが、これは他ならぬあなたにとって
正しい決断であり、行うことを恐れてはいけない。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52191415.html

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